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Princess Nicobarese

Great Andaman Island / India
インドに属し、アンダマン海とベンガル湾の狭間に浮かぶ、アンダマン・ニコバル州。

グレート・アンダーマン島をはじめ、大小様々な島々からなる多島エリアですが、大きくは北部のアンダマン諸島と、南部のニコバル諸島に分けられています。

このエリアには、入植してきたインド人やスリランカ人も暮らしていますが、街や村から隔絶したエリアには、未だに多くの先住民族が、太古からの暮らしそのままに営みを続けています。また過去イギリス統治時代には、流刑地として扱われた暗い過去もあります。

アンダマン諸島に暮らす、Great Andamanese(グレート・アンダーマン)。彼らは一つの名前でこう呼ばれますが、実際にはアカヴォ、アカヴィダなど10のグループに分かれています。地元のジャーナリストの話を聞いた限りでは、アカヴォの独自の言葉を話す最後の女性が2012年に亡くなり、文字を持たないこの言葉は完全に失われたとのことでした。

またJarawa(ジャラワ族)と呼ばれる人々もいます。彼らの外見はインド人とはまったく違い、アフリカ系のネグロイドや、太平洋上の島々に住むメラネシア系の外見的特徴を持っています。彼らを強制的に特定の島に移住させたり、チェックポストを設けたりして、外部の人間の立ち入りを強く取り締まっています。

南部のニコバル諸島エリアはShompen(ションペン族)、Nicobarese(ニコバル族)と呼ばれるトライバル・グループ( “トライバル”という言葉について、差別的とされることがありますが、インド人や本人達がこのように自分たちを呼ぶので、あえて使用します)のエリアです。彼らはインド人など北方のアーリア系よりも、ミャンマーやインドネシア人といったモンゴロイド的な外見をもっています。また彼ら独自の言語の語感はヒンディーをはじめとするインドの言葉よりも、東南アジア方面の言語に近い印象を受けました。

実際にニコバル諸島は、属するインドよりもこれらの国々の近くに位置し、夜間の天気がよく空気が澄んでいれば、インドネシア北部スマトラ島の灯台(もしくはその手前にある島の灯台とおもわれます)が見えることもあるそうです。

ニコバル諸島には、インド人とは違った魅力のある人々が多数住んでいますが、我々外国人はもとより、この国にもともと住んでいる人以外は、彼らに会いにゆくことはできません。政府が非常に厳しい規制をもうけ、特別なパーミッションがなければニコバル諸島のエリアに立ち入ることが許されていないからです。つまり、完全な政治的な秘境です。パーミッションも学者や医療関係者、政府の人々のみに許可されるものであり、一般人では申請したからといって取得できるものではないようです。

特に南部の大ニコバル島付近は、一部のエリアでも立ち入ることはできません。しかしグレート・アンダマン島に住んでいるニコバル族に、たまたまお世話になる機会を得て、直接話しを聞くことができました。

Great AndamaneseやJawara(ジャワラ族)の人々は、現代でも自然のままの暮らしをしており、誤解を恐れずに言えば、衣服は基本的に着ておらず、石器時代同様の暮らしをしているといわれています(インド人はこのように認識しています)。
対してニコバル族は、伝統的な家屋や風習を持ってはいますが、近代的な生活を送っており、インドの地方都市と変わらぬ暮らしを営んでいるそうです。

インド政府がなぜ、ニコバル族のエリアに、外部の人間が立ち入ることを禁止しているのか、彼ら自身にもわからないそうです。何か政府の掲げた名目はあるのでしょうが、少なくとも王子は話したくないようでした。

私が知る限りアジアのエスニック・グループの中には、国家に属しているという認識よりもいまだに民族単位で、王族のシステムが残っていることがあります。インドネシア東部の島では、ある王家の葬式に参列したり、バングラデシュでは過去、特定の民族を束ねていた王族のプリンセスに謁見したこともあります。

ほとんどの場合、王家といっても他の家にくらべ多少裕福ですが、警備されていたり、大きな城などに住んでいるわけではなく、歴史的・象徴的な伝統の長(おさ)であり、現代では実権はさほどないようです(アフリカの伝統的なエリアには酋長が残っており、彼らは未だに大きな実権を握っているそうです)。ただ誇りは残っており、英語の“ロイヤル“という言葉をよく使います。日本で言えば日本人は単一民族であり、天皇のような存在ですが、その単位が街や村といった小さな単位になっています。

ニコバル族にも王族がそのまま残っており、面白いのは伝統的に女性を長としているということでした。つまり“女王“です。私がお世話になった方は女王の男子、つまり王子にあたります。写真の女の子はこの王子の娘であり、つまりプリンセスということになります。

ニコバル族の伝統衣装はインドやミャンマーでは“ロンギ”“”ロンジー“と呼ばれる腰巻きで、ムスリムのグループなら女性はスカーフを着用します。この幼いプリンセスはこれら伝統衣装を着るのがとても嫌なようで、お気に入りのショッキング・ピンクのハイヒールとショートパンツを撮ってほしかったようです(腰巻きは、足の上に父親が無理やり置いての撮影)。近代的な家で、日本のテレビアニメを真剣に見ている現代っ子の彼女には、ニコバル族の伝統や人々が置かれた状況などほとんど意味がないようです。

実はアンダマン・ニコバル諸島は、2004年のスマトラ沖地震で大きな津波被害を受けました。ある島はほとんど壊滅状態になり、一時はすべての人々が被害の少なかった島へと移住せざるを得ませんでした。現在でも1家族を除いて、その島に戻る人はいないそうです。

津波以前から外部の人間が立ち入ることは厳しく制限されており、津波後も同様の“隔離“状態ですので、復興はほとんど進んでいないようです。私がたまたまお世話になった家というか、建物は州都・ポートブレアにあり、ニコバル族を代表した協議会のオフィスであり、また現地とインドを結ぶ貿易事業の要となっています。

王子を中心としたこの協議会では、進まぬ津波被害の復興支援を呼びかけるために、地元の新聞に現状を訴えたり、王女から公式にという形で、インド政府の要人に現地へ視察に来るように呼びかけたりと、地道な活動を続けています。

当時は大きく日本でも取り上げられたスマトラ沖の大災害からすでに11年。途中、日本人も同様の被害に遭い、外国はもとよりインド国内でもすでに過去となった災害といっても過言ではないでしょう。

インド政府の思惑により、ほとんど放置状態といってもよい秘境に住まう人々、ニコバル族。彼らの闘いはまだ始まったばかりです。

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